杉山神社の森に響く笛、太鼓

昔から変わらぬ鴨居囃子

疾風のごとく駆ける囃子に乗って

獅子が舞い踊る

そして未来につないでいく

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鴨居囃子

鴨居囃子は江戸時代天保年間(1831~1845)の発祥と伝えられ、現在まで代々連綿と伝承されてきました。

発祥当時のお囃子がどのようなものであったのかは
知る由もありませんが、岩岡廣作氏『鴨居囃子の履歴』(別掲)によれば、天保年間に始まった鴨居囃子の原形に
江戸下町囃子の系統を修得された「和田寅」(ワダトラ)さんから教えを受け、現在のような曲目や演奏形式になったと思われます。

江戸の祭り囃子には、下町囃子、山の手囃子、里神楽などいくつかの系統がありますが、
曲調や曲目構成から、鴨居囃子は神田囃子などの下町囃子系統に属します。

下町囃子はスピード感溢れる威勢のよい囃子が特徴で、
鴨居囃子も付太鼓のテンポいい絡み合いなどが随所に出てきます。

現在、鴨居囃子では小学生を含め約30人のメンバーを擁し、
消防出初式、緑区民まつり、町内獅子舞、祭礼、地元小学校のお囃子授業など
地域の行事・イベントに積極的に出演するなど、鴨居囃子の普及と継承に取り組んでいます。

歴史

私の先々代の師である岩岡廣作氏(明治25年:1892年生まれ)が昭和52年に書き残した『鴨居囃子の履歴』より。※ほぼ原文のまま掲載しています。

ここに鴨居の囃子について、事細かには知りませんが、私(岩岡廣作)が見聞きして覚えていることだけを記して、後まで残しておきたいと思います。
 まず、私の祖父 喜代松おじいさんは、天保十三年の生まれで、その祖父から聞いた話では、その当時でも囃子はあったのだと申しました。しかし人数が少なくて困ってしまったので、昔の下猿山(現在の白山町)と行ったり来たりして、祭礼やお不動様を賑やかにやってきたと云って話してくれました。
 徳川末期か明治の御代になってか、それはわかりませんが、御照覧囃子※があったそうです。その時どのくらい集まったかわかりませんが、この辺で参加された方は、保土ケ谷区和田町の青木 寅さんとおっしゃる方が参加されたそうです。その方を「和田寅(ワダトラ)さん」と呼んでおります。
その和田寅さんから手写しに教わったのが、上菅田町の松野筆吉さんです。そして私の父 松之助と織裳勘蔵さんのご子息の二人が松野さん付いて習いまして、全部覚えるまで松野さん宅に通い続けたのです。
そして全部覚えた後、鴨居町内の若者に教えたので、皆さんが後々おやり下さるので、、今なお和田寅さんの囃子が続いている有り難いことであります。
また後戻りしまして、御照覧囃子のことについて今少しお話ししたいと思います。
山の手囃子、浜の手囃子の二手に分けられました。その時、種々書いた巻物を頂いたそうですが、和田町が戦争の時、火災になりましたので、和田寅さんに聞いてみたら、全部灰になってしまったとおっしゃいました。
昔の囃子に「間物(マモノ)」というのがありました。それを覚えたいと思い、私、岩岡慶作さん、冨士見富蔵さん、岩岡栄次郎さんの四名で始めましたところ、祖父が急に死亡しましたので、そのまま終わりになりました。
その間物の名前は「麒麟(キリン)」「亀井戸(カメイド)」「階殿(カイデン)」「活光(カッコ)」という四色でした。
 明治三十二年頃と思います。横浜市子安町入江川橋のほとりに住んでおられた神楽師の臼井磯五郎さんとおっしゃる方をお頼みいたしまして、柳下岩吉さん方の養蚕室をお借りして昼夜なしに七日間くらい泊まり込みで踊りを教えて頂いたことを覚えています。第二回目は明治四十四、五年頃と思います。岩岡富蔵さんのところをお借りして、先生は泊まり込みで一月十四日から七日間、朝から夜の十一時頃まで習いました。一日の稽古の最後には、その日一日分習ったことを一人ずつ踊りました。

※御照覧囃子;天皇陛下の御前で行う囃子